Top Page > 軍事・戦争・歴史 > 明代「倭寇」の主体は中国人だった!責任を日本人になすりつけ

Top

Down

明代「倭寇」の主体は中国人だった!責任を日本人になすりつけ

様々なジャンルより、最近気になった情報をお届けします。
新着ヘッドライン

明代「倭寇」の主体は中国人だった!責任を日本人になすりつけ

カテゴリー: 軍事・戦争・歴史
更新日時: 2016年03月31日

1:2016/03/29(火) 22:18:50.84 ID:
 
★明代「倭寇」の主体は中国人だった  中国大手メディアが異例の指摘、「そもそもの原因」は中国の政策にあった(編者解説付)
2016-03-29 13:33

中国の大手ポータルサイト「新浪網」は、このほど「明代の倭寇の真相を大暴露」とする記事を掲載した。中国では「倭寇」のことを、日本による歴史的な中国侵略の1つとみなす人が多いが、同記事は、元朝末期や明朝初期を除けば、倭寇を率いていたのは中国人と紹介した。

記事は冒頭部分で、明時代の倭寇発生について、「そもそもの原因」を作ったのは中国政府と指摘。すなわち、明初代皇帝の朱元璋が1371年に発布した「寸板も下海を許さず(板切れも海に浮かべてはならない)」とする「海禁」だ。

記事は、朱元璋について「農民出身であり青色文明(海洋交易文明)を知らず、反感を持っていた」と指摘。また、中国皇帝は天下に君臨するとの感覚にもとづく「いびつな朝貢貿易しか残そうとしなかった」と批判した。

16世紀の当時はすでに「大航海時代」という世界的な流れが確定しており、海に乗り出した中国人の大商人もいたが、明朝は「密貿易者」として厳しく弾圧した。

記事は例として、商人兼倭寇の首魁だった王直を紹介した。王直は弾圧を逃れ日本の平戸を拠点にしたが、中国側は王直に、老母と妻を釈放し、王直には官位を与え貿易活動も認めるなどと書状を送った。喜んで帰国した王直を当局は捕らえ、首をはねた。

記事は、当局側に極めて不誠実な手法なで用いて交易活動を弾圧したことを、率直に紹介した。

倭寇、特に後期の倭寇は明を衰退させる大きな原因になった。記事は後期倭寇について、日本人武士も参加していたが、率いていたのは中国人と指摘。それが「倭寇」という、日本人が主体との印象が持たれる名称になったことについて、改めて明朝の政策を批判。

海禁は漁民の出漁も許さず、違反すれば「九族すべてを誅殺」という極めて厳しい政策だったが、海岸地帯では海に出ないと生活できない民衆も多く、彼らは万一の際にも家族は守るよう、自らを「倭人」と称したという。

さらに、浙江省や福建省など、「倭寇の被害」を受けた土地の官僚が明朝中央に報告する際、「中国人の反乱」と事実を伝えると、政治的に自らが責任を取らねばならないので、「倭乱」が発生したと報告した。

記事は最後の部分で、「倭寇」の実態について「海禁政策が誘導した海岸地方の民衆による抗争・反乱」であり、反乱する側も鎮圧する側も、日本に名を借りた「共同虚構」だったと指摘した。


**********

◆解説◆
中国では「明代」を栄光の時代と認識する傾向がある。異民族として中国を支配した「元朝」を覆した王朝だったことが、大きな原因だ。

しかし、明代の政治を見ると実際には、殺伐として陰湿な出来事が多かったことがわかる。海についての政策の失敗も、おおむね上記記事の指摘するとおりだ。

海上交易を大いに発達させたのはむしろ前の時代の元朝だった。軍事力で広大な領域を支配することになったモンゴル民族だが、フビライ帝以降はむしろ、交易国家の性格を強めた。モンゴル人はシルクロードの交易をよく知っていたことも、背景にあったと考えられる。

なお、モンゴルが中国を侵攻した際の「虐殺」についても、過大に語られているとの指摘がある。例えば、宋代に海上交易の拠点として栄えた泉州をモンゴルは徹底的に破壊されたとされるが、元代になって泉州がすぐに復活していることから「泉州大虐殺」は政治的な宣伝にすぎないと主張する研究者がいる。

上記記事は、多くの中国にとって「聞いて心地がよくない」歴史について、当時の当局批判を含めて「事実」を伝えようと努めた点で興味深い。(編集担当:如月隼人)

http://news.searchina.net/id/1605979?page=1
 今日のおすすめ記事



3:2016/03/29(火) 23:03:42.03 ID:
そりゃ、動力機関もない時代に中国まで行くリスクを考えたら当たり前だな
4:2016/03/29(火) 23:12:11.32 ID:
これって豊臣秀吉の朝鮮侵略撃滅事件のことでは?
韓国では朝鮮人が劇的勝利したことになって居るが何か間違いがあるのだろうか?
5:2016/03/29(火) 23:43:37.60 ID:
>>4
秀吉が死んだから戦争が終わっただけ。

> 「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、(明では)十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも、
> 中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9
6:2016/03/29(火) 23:48:07.30 ID:
悪意でとらえると、
実は海禁政策に実態はなく、
昔から中国が海を支配していた、
とかだけど、警戒しすぎか。

中華の華夷秩序についてだと、
漢族は外交と交易をセットで要求するけど、
異民族王朝のときはあまりこだわらなかった、
なんて話は読んだような気はする。
7:2016/03/30(水) 00:08:42.77 ID:
朝鮮出兵とは何だったのか
武士あまりをどうにかしようとした公共事業
10:2016/03/30(水) 02:14:23.00 ID:
>>7
家臣に領地を知行として与えるにも日本の土地じゃ限界があったためだな。
職を与える公共事業とは微妙に違うと思う。
14:2016/03/30(水) 10:17:26.23 ID:
>>7>>10
そんな単純なお話ではございません。
アジアにおけるヨーロッパの暴虐ぶりを知った秀吉は、日本を守るためには
むしろ世界に打って出るべきだと考えたのです。

それに本来は朝鮮出兵では無く「唐入り」
目的地は中国であり朝鮮は通り道に過ぎません。なので秀吉軍は朝鮮王に対して
秀吉軍の通行を認めるように申し出ています。中国の属国であった朝鮮がそれを認めるはずもなく
交渉は難航し、しびれを切らせた脳筋馬鹿の加藤清正などが独断で戦端を開き、
戦闘が始まってしまっただけです。

一度目の出兵がグダグダに終わったせいで、
二度目の出兵では中国をあきらめ、せめて朝鮮半島の支配権だけでもと望んだものです。
なので二度目は朝鮮出兵で間違いは無いです。秀吉がやろうとしたことは明治政府が
ロシアの脅威に対抗するために朝鮮半島に出兵したのと全く同じなのです。
15:2016/03/30(水) 11:14:58.63 ID:
>>14
対馬とか元寇で朝鮮人があまりにやらかしたせいで、元々朝鮮人は自業自得
ただの因果応報で同情の余地は無いし論評に値しない
中国本土に関しては仰る通り南蛮のアジア侵略への危機感が発端
16:2016/03/30(水) 12:33:35.27 ID:
>>14
欧米に脅威を感じたという説もあることにはあるが、かなり弱いだろ。
ポルトガルから船を買って、朝鮮や中国を支配した暁にはキリスト教の布教に協力をすると
持ちかけているから、どちらかと言えば利用しようとしていたようだ。
秀吉は、身分が低い出身だから、常に報酬を与えないと部下が付いて来ないので、新たな
領土を欲したという説のほうが信憑性がある。
元々、中国を目指していたというのは確かだが、朝鮮に通行許可を要求したのではなく、
降伏勧告をしたというのが正解だろう。拒否されたから、まず朝鮮を支配下に置こうと出兵
したわけだから、一度目も目標は朝鮮だよ。
快進撃を続けたのだから、別にグダグダに終わってもいないだろ。
明との交渉に入った(互いに降伏したと知らされた)から、一時中断しただけ。
18:2016/03/30(水) 12:52:41.02 ID:
>>16
欧米に脅威というのはそれこそ信長時代からの問題認識なので、それは無いかと。
秀吉自身が信長の危機意識をそのまま継承したかはともかく、召抱えたスタッフは信長時代を継承している。
欧米の脅威を見据え、それ故に全国統一を急ぎ、足元が疎かになったが故の本能寺の変。
対外認識では信長時代と秀吉時代で一貫している。キリスト教徒の取扱いの変遷を見ても明らか。
とことん実利的かつ合理的に振舞っている。
願望で現実を見る目を歪めちゃ駄目。
21:2016/03/30(水) 13:05:17.53 ID:
>>18
蒸気機関も無かった時代に欧米に脅威とか無いだろう。
兵を運んで来るのも一苦労だしな。元寇がそれを証明している。
モンゴルのような大帝国が大兵力で遠征してきてもけちょんけちょんにされた挙句、
台風の追い打ちで壊走している。
欧米がアジアに侵攻してくる備えをするなら、中国や朝鮮と軍事同盟を結ぶだけで
いいはず。攻め込む必要性を感じない。日露戦争のときとは状況が全く違う。
22:2016/03/30(水) 13:12:03.81 ID:
>>21
>蒸気機関も無かった時代に欧米に脅威とか無いだろう。

当時の欧米に脅威がないとか、精神障害ですか?
じゃあ何で当時、新大陸やアジアに欧米の植民地が陸続と生まれているんですか?
アフリカと南米の奴隷貿易とか、脅威じゃないと言い張るんですか?
お里が知れるレベルのアホだな
人間としてアウトだよお前
24:2016/03/30(水) 13:15:25.02 ID:
>>22
今と違って情報化社会じゃないんだよ。
しかも、数十キロ移動するのにも1日がかりの時代だ。
遠い国の話を聞いても脅威になど感じない。
隣国が既に支配されているとかなら別だろうけど。
遠交近攻。近い国のほうが脅威なんだよ。
26:2016/03/30(水) 13:27:57.83 ID:
>>24
おまえ当時の日本人の情報収集能力を舐め過ぎ
日本は極東に居ながらにして、ちゃんと世界情勢を把握していた
ここまで馬鹿だと、江戸時代の鎖国体制は日本を世界の情報から隔絶したとか言う珍俗説を本気で信じちゃって居そう
安心しろ、昔も今も日本人は現代のお前より利口だ

駄目押しすると、地球儀さえ手に入れていた織田信長に何言ってるんだお前?
30:2016/03/30(水) 18:21:53.18 ID:
>>24
>>隣国が既に支配されているとかなら別だろうけど。

・・・あのな、インドネシア・フィリピンはすでに支配されていて台湾にもオランダ・スペインが進出していたんだがな。
29:2016/03/30(水) 17:14:11.59 ID:
>>22
どうでもいいけど、何でそんなにファビョってるの?
8:2016/03/30(水) 00:10:00.10 ID:
でも清朝が英国に、
臣下の礼を求めたりしてたし、
いちがいに、どうこうでもないか。

元が特別に異質だったのかな。
11:2016/03/30(水) 03:38:32.99 ID:
倭寇に出るほどの造船航海技術があったのか?日本に・・
正確にはその「必要性」が、だが。
12:2016/03/30(水) 04:55:10.10 ID:
中国は元々南シナ海を支配していたとしたいから
こんな記事書いてんだろな
13:2016/03/30(水) 06:03:30.71 ID:
日本人から傭兵を招いたのだ。
日本刀の剣術は支那人に脅威だったということ。
17:2016/03/30(水) 12:48:46.71 ID:
信長の後を継いで天下統一を果たしたといっても、その支配は盤石ではなかった秀吉が
欧米を脅威に感じて大陸進出をしたというのは、そもそも無理があると思う。
日本を守るだけなら、日本は島国なので海軍力を増強すればいいだけの話。
外国へ侵攻して支配するのは、長期の戦争をするということで国内も疲弊する。
戦争には金がかかるし、海外では兵站の維持も大変になるから、リスクが高いのだ。
戦争に勝っても言語が違うので盤石な支配も難しいだろう。
19:2016/03/30(水) 12:58:28.38 ID:
>>17
>日本を守るだけなら、日本は島国なので海軍力を増強すればいいだけの話。
造船技術を見ても和船と南蛮船では格差があるのに、アホかw

>外国へ侵攻して支配するのは、長期の戦争をするということで国内も疲弊する。
>戦争には金がかかるし、海外では兵站の維持も大変になるから、リスクが高いのだ。

当時抱えていた脅威認識も弁えず、現代知識で子供じみた妄言を吐くとかアホ杉w
マジレスして損したわ。
当時の『宣教師』の実態も知らず、和人の人身売買の実態も知らずに言っているのでなければ、あなたは正真正銘のキチガイ。
歴史にスライディング土下座して自決しなさい。
デタラメな放言にしても、あまりに酷い。
23:2016/03/30(水) 13:13:22.92 ID:
>>19
そんな陰謀論に近いような説を有力視してる人に言われたくないわw
じゃあ、何で秀吉が死んだ途端に大陸進出しなくなったんだ?
その説が正しいなら家康も同様の行動に出たはずだろ。
25:2016/03/30(水) 13:21:58.71 ID:
>>23
当時のキリスト教宣教師が奴隷調達の尖兵だったなんてことは、
陰謀論でも何でも無くて初歩的な史実なんだが…。
史実を知らない民族の洗脳教育もここに極まれり、だな。
本当に相手にする価値も無いクズだわ。
27:2016/03/30(水) 14:05:48.60 ID:
>>25-26
いくら相手が無知蒙昧だとしても罵るのは得策では無いですよ。
無知な人ってのは聞く耳も考える頭も無い人だから、頭ごなしに言うと意固地になるだけ。

そもそも秀吉がバテレン追放令を出したのは、南蛮人が日本人を奴隷として西欧に「輸出」
していた事が発端だと言いますしね。あまり知られていませんが、あるいは戦後教育で隠蔽
されていますが、西洋人による奴隷貿易は日本でも行われたのです。
31:2016/03/30(水) 19:10:19.27 ID:
>>25
秀吉が唐入り(朝鮮出兵)行った動機について諸説あるのを知っているよな?
君が欧米脅威論を信じるのは勝手だけど、専門家の間でも動機は断定できていないという事実がある。
あと、家康が同様の行動を取らなかったという質問にも答えてくれ。
欧米が脅威だから隣国に攻め込むというのも理に適っているとは思えないしな。

> 秀吉が明の征服とそれに先立つ朝鮮征伐つまり「唐入り」を行った動機については古来から諸説が語られているが、
> 様々な意見はどれも学者を納得させるには至っておらず、これと断定し難い歴史上の謎の一つである。
> 戦役の本編に入る前に動機に関する諸説について述べる。主なものだけで以下のようなものがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9
32:2016/03/30(水) 23:38:29.71 ID:
>>31
>何で秀吉が死んだ途端に大陸進出しなくなったんだ?
>今と違って情報化社会じゃないんだよ
君は無知すぎてレスのレベルが低すぎですよ
33:2016/03/30(水) 23:49:41.40 ID:
>>31
wikipedia引用する時点で終わってる。

史学的に根拠のある分析とトンデモを同列に語るな馬鹿。
動機が複数あって、そのどれに重きがあるかというだけの話なのに

>専門家の間でも動機は断定できていないという事実がある

とか、全く意味も価値もないこと言われても困る。詭弁の典型だ。
なぁ~にが『事実』だよアホンダラw
35:2016/03/31(木) 01:09:23.57 ID:
>>33
wikipediaからの引用が何故ダメなんだ?
そりゃ独自研究の信用ならない記事も多いがきちんと情報源のある記事も多いわけで
それでも間違ってると言うならばその情報も間違ってるという事になるが
じゃぁお前の信じる情報源が一体どこでそれが正しい根拠は一体どこにあるんだ?
2chの情報源の無い主張より万倍も信用できるだろ



    にほんブログ村 ネットブログ 2ちゃんねるへ


 今週の人気記事一覧

 今日の注目記事一覧

 関連記事

  

 明代「倭寇」の主体は中国人だった!責任を日本人になすりつけ
7247いつもの名無し:2016/04/06(水) 20:17:30 ID:- 
へー海禁かぁ。
あれ? でも鄭和って明代初期にアフリカまで行ってんじゃ……?

7373いつもの名無し:2016/05/13(金) 05:39:57 ID:- 
初期の倭寇も大陸に原因があるのは明白、発端は元寇で被害を受けた松浦など北部九州沿岸部の住人の威力偵察で防衛的な行動。

コメントの投稿





★入力しなくてもコメントできます。空欄の場合は『いつもの名無し』と自動で表示されます。



★『>>番号』で記事本文、『番号』または『番号』でコメント欄、それぞれ元の文章がポップアップ表示されます。
★宣伝コピペ等は削除及びアクセス制限の対象となります。
★NGワードを含む場合には、仕様的に投稿できない可能性があります。



★パスワード欄に入力した文字列(半角英数字)は暗号化され“ID:~”として表示されます。
なお、パスワードを設定しなかった場合は“ID:-”になります。



管理者にだけ表示を許可する

殿堂書庫ランキング


新着ヘッドライン
メールフォーム


-名前-



-メール-



-件名-



-本文-




SEOブログパーツ フィードメーター


逆アクセスランキング
リンク
スポンサードリンク